2016年は星野源の年だった / AC「ライバルは、1964年」

伝わるメッセージとしてはいまひとつ中途半端なんだけど(最後が「考えよう」だし。イマドキの人々は何をどうやってどのくらい考えるか、まで提示しないと考えないよ、っていう)、星野源楽曲で星野源のナレが入ってることで、2016年っぽくなる、それだけ。いつか誰かがこの映像を見返した時、そのコンテキストがないとよくわからないだろうなあ。あ、仕上がりは大好きです。意味が無いってだけで。