▶T MOBILE|Life's for Sharing - Dance|2009350人が踊り出した朝、通勤が祝祭に変わった / T-Mobile「Dance」2009年、ロンドンのリバプール・ストリート駅。ラッシュアワーの人混みの中で、通勤客がひとり踊り出したクマ。次の瞬間また一人、また一人。気づけば350人が「Shout」に合わせて踊り狂う祝祭になっていたクマ。
▶ソフトバンク|ブラッド・ピット&キャメロン・ディアス シリーズ|2006説明、一切なし。答えは「=SoftBank」 / ソフトバンク ブラッド・ピット&キャメロン・ディアス キャンペーン初めてテレビで観たとき、さすがに「うおぉ」と声に出して言ってしまった記憶があるクマ。Vodafone買って一気に勝負に来る感じみたいなのが社会に伝わってきてて、で、ブラピとキャメロンディアスでどーん、とクマ。ただただカッコイイだけのCMなんだけど、ただただカッコよければいいんだな、ってクマ。
▶VIRGIN|5 CENT|2005たった5セントが、グランプリになった / VIRGIN「5 CENT」2005年、オーストラリア。VIRGINという名前だけで、何かが起きる予感がするクマ。HOST SYDNEYが手がけた「5 CENT」は、グランプリを獲得した一本。タイトルだけで伝わる、価格の強さ。
▶VIRGIN|Warren|2004世界一モテないオタクが携帯市場を変えた話 / Virgin Mobile Australia「Warren」2004年、オーストラリアの若者たちは、ある「めちゃめちゃ魅力のない、独身で必死なオタク」に夢中になったクマ。彼の名前はWarren。デートビデオ風の映像で自分を語り、自信満々で、でもどう見ても……モテない。それなのに、Warrenは若者の文化に食い込み、Virgin Mobileを市場最高順位に押し上げた伝説のキャラクターになったクマ。
▶SK TELECOM|BE THE REDS CAMPAIGN IN 2002 FIFA WORLD CUP|2003国を一色に染めた、赤いTシャツの正体 / SK TELECOM「Be the Reds」2002年、韓国全土が赤く染まったクマ。この広告が生んだ「Be the Reds」というフレーズは、Tシャツに印刷され、700万人が街頭で着用し、国民の20%が参加する歴史的な応援文化を生み出したクマ。
▶TELECOM ARGENTINA|Yawn (Bostezos)|2001あくびを1本の線でつなぐと、CMになった / テレコム・アルヘンティーナ「YAWN」あくびが人から人へ伝染していくだけの50秒が、カンヌ金賞を獲ったクマ。説明はいらない、あくびは見た瞬間に「分かる」から強いクマ。
▶SBC COMMUNICATIONS|NEIGHBOURHOOD, COPS|2001近所に警官がいる、というだけの話 / SBC Communications「Neighbourhood, Cops」2001年、通信会社のCM。Goodby Silverstein が手がけた SBC Communications のシリーズの一本クマ。タイトルからして「近所」と「警官」、一体どんなストーリーなのか、気になるクマ。
▶KDDI|ポーター編|200114年前なのに、今でも笑える / KDDI 企業広告「ポーター編」2001年。豊川悦司と加瀬亮クマ。元記事を書いた2015年から見ても「全然古びない」と思ったし、今また見ても本当に古びてないクマ。キャスティングも含めてまったく違和感ないクマ。こういうのも「いい作品」の一つの指標なんだな、と思うクマ。
▶FRANCE TELECOM|CUSTOMS|1999税関職員たちが、電話でゴールを叫んだ / FRANCE TELECOM「CUSTOMS」1998年のワールドカップに向けて作られた、フランステレコムのCMクマ。国境の税関を舞台にして、サッカーボールを密輸する職員たちの「ゴール!」が電話で響く。フットボールは、人々を話させるクマ。
▶NTTドコモ|ポケベル「はじめる」|1996同世代のほぼすべての男子に、何かを残していった / NTTドコモ ポケベル「はじめる」1996年、公園のタコ滑り台に寝そべってるるる♪と鼻歌を歌う15歳の少女が、全国のテレビに現れたクマ。「お誕生日にポケベル買ってもらった」と舌足らずに話すその子の名前は、広末涼子。このCMが、彼女を一躍スターに押し上げたクマ。
▶NYNEX|If it's out there, it's in here / DUMBWAITERS|1988イエローページに、ダムウェイターまで載っている事件 / NYNEX「DUMBWAITERS」電話帳のCMで笑いが取れる、というだけで事件クマ。NYNEXのイエローページ広告は、80年代後半のアメリカ北東部で記憶に残る存在だったクマ。
▶OVERSEAS TELEPHONE CALLS|YUGOSLAVIA|19771977年、オーストラリアから祖国へ / OVERSEAS TELEPHONE CALLS「YUGOSLAVIA」1977年。オーストラリアの国際電話サービスが、ユーゴスラビアからの移民たちの声を使って、カンヌでグランプリを獲ったクマ。